2012年01月26日
2012年01月24日
2012年01月22日
2012年01月21日
書評:森村誠一著 悪道 (講談社)
時は元禄。徳川幕府第五代将軍の徳川綱吉は、大老格である柳沢吉保邸の木の香も新しい能舞台で、能楽「高砂」を将軍自ら謡い舞っている最中に脳溢血と思われる急病で突然倒れ、絶えた。一度は愕然とした吉保だったが、権僧隆光の大胆な提案を受け入れ、己の権力をより強固にするための見事な計略を巡らせる。しかし、その計略こそが、吉保の権勢に知らぬ間に影を作っていくのだった…。

この作品はいわゆる元禄時代が舞台。徳川幕府の世も安定し町は賑やかになり、生類憐れみの令をはじめとする悪政が行われた時代である。綱吉の寵愛を受け、実質的な支配者であった柳沢吉保が自邸での綱吉の死を隠し、影将軍を立てる。その影将軍を意のままに操り、権勢を大きくするはずだった。
迅速に動く吉保。しかし、影の存在を知ると思しき伊賀者の血筋を持つ下っ端侍一人と、綱吉を看取った医者の娘一人を取り逃がしてしまう。そして、見事に綱吉になりきった影将軍であるが、心のうちには誰にも明かさない計画がある。そこから、吉保の誤算が始まってしまう。
意味が在るかどうかは別として、この小説は時代小説の「忍者モノ」ということになる。しかし、ただの忍者モノではなく元禄時代が舞台の忍者モノなのである。
忍者が闊達に活躍していたのは群雄割拠だった戦国時代。闇に紛れ秘術を駆使し、暗殺と諜報を繰り返したわけであって、元禄時代という安穏とした時代にはそぐわない存在が、まさに忍者なのである。しかし、伊賀者の末裔であり、影将軍の秘密を知り逃亡しつづける流英次郎は、まるで血で戦うが如く、特殊な能力と論理を超えた戦闘を繰り返していく。まさに、忍者が蘇るが如くなのである。ただ、英次郎が戦国時代の忍者と違うのは非道でもなく孤高でもなく、仲間を信頼し自ら考え運命を見出していく姿であり、それこそが「元禄時代に生きる忍者」のような特異なヒーローとして描かれていく。
ただの替え玉として登場したはずの影将軍であったが、世の中を見据える視点や庶民のための治世の念は、替え玉ではなく本物の将軍以上であることが徐々に露になっていく。そして、自分を立てた柳沢吉保との関係性の繊細な調整と、遠く聞こえる逃亡する者の存在。そして、真の意味の「影将軍」になりきるべく、彼は内なる計画を発動する。
権力の中枢にいる柳沢吉保、伊賀者の血を持つ英次郎、そして影将軍。。。その3人のトライアングルがこの作品の至上の窓と言っていいだろう。
幕府の支配の中に組み込まれていながら非合法として黙認されている人身売買であったり、地下組織の暗躍振りがありありと描かれていて凄いのである。将軍の継承の目論見と権謀。大奥の中で繰り広げられる欲望の渦。外様、譜代の扱いの妙。ある種中央とは独立している地方経済。そのすべてに関わってくる地下組織と権力の姿。
フィクションの中で見る時代作品に止まらず、いまの時代であってもそのまま名詞を代えて当てはまるようなリアルな社会、そして歪な世界がこの作品には封じ込められているのだ。
凄い。こんなに面白い時代小説は読んだことがない。しかも、この本は尊敬する方から頂いた本である。自分の中の歴史に残る一冊となった。


この作品はいわゆる元禄時代が舞台。徳川幕府の世も安定し町は賑やかになり、生類憐れみの令をはじめとする悪政が行われた時代である。綱吉の寵愛を受け、実質的な支配者であった柳沢吉保が自邸での綱吉の死を隠し、影将軍を立てる。その影将軍を意のままに操り、権勢を大きくするはずだった。
迅速に動く吉保。しかし、影の存在を知ると思しき伊賀者の血筋を持つ下っ端侍一人と、綱吉を看取った医者の娘一人を取り逃がしてしまう。そして、見事に綱吉になりきった影将軍であるが、心のうちには誰にも明かさない計画がある。そこから、吉保の誤算が始まってしまう。
意味が在るかどうかは別として、この小説は時代小説の「忍者モノ」ということになる。しかし、ただの忍者モノではなく元禄時代が舞台の忍者モノなのである。
忍者が闊達に活躍していたのは群雄割拠だった戦国時代。闇に紛れ秘術を駆使し、暗殺と諜報を繰り返したわけであって、元禄時代という安穏とした時代にはそぐわない存在が、まさに忍者なのである。しかし、伊賀者の末裔であり、影将軍の秘密を知り逃亡しつづける流英次郎は、まるで血で戦うが如く、特殊な能力と論理を超えた戦闘を繰り返していく。まさに、忍者が蘇るが如くなのである。ただ、英次郎が戦国時代の忍者と違うのは非道でもなく孤高でもなく、仲間を信頼し自ら考え運命を見出していく姿であり、それこそが「元禄時代に生きる忍者」のような特異なヒーローとして描かれていく。
ただの替え玉として登場したはずの影将軍であったが、世の中を見据える視点や庶民のための治世の念は、替え玉ではなく本物の将軍以上であることが徐々に露になっていく。そして、自分を立てた柳沢吉保との関係性の繊細な調整と、遠く聞こえる逃亡する者の存在。そして、真の意味の「影将軍」になりきるべく、彼は内なる計画を発動する。
権力の中枢にいる柳沢吉保、伊賀者の血を持つ英次郎、そして影将軍。。。その3人のトライアングルがこの作品の至上の窓と言っていいだろう。
幕府の支配の中に組み込まれていながら非合法として黙認されている人身売買であったり、地下組織の暗躍振りがありありと描かれていて凄いのである。将軍の継承の目論見と権謀。大奥の中で繰り広げられる欲望の渦。外様、譜代の扱いの妙。ある種中央とは独立している地方経済。そのすべてに関わってくる地下組織と権力の姿。
フィクションの中で見る時代作品に止まらず、いまの時代であってもそのまま名詞を代えて当てはまるようなリアルな社会、そして歪な世界がこの作品には封じ込められているのだ。
凄い。こんなに面白い時代小説は読んだことがない。しかも、この本は尊敬する方から頂いた本である。自分の中の歴史に残る一冊となった。
2012年01月19日
賞だとか評価だとか。
この会見が一人歩きしているようですが、作家は人柄でも容姿でも声でもなく、作品のみが評価される唯一の対象です。
まさにこの会見は「蛇足」。見なくてもいい余計なものです。でも、面白い。
まさにこの会見は「蛇足」。見なくてもいい余計なものです。でも、面白い。
2012年01月11日
『エンディングノート』。いい日、旅立ち…。
いい映画というのは、見ているうちに時間の経過や今日一日の予定など、映画以外のことを忘れさせてくれるくらいに、夢中になるというか没頭してしまうという感覚になります。まさに映画に入り込んで、映画の一挙一動に自分が反応してしまっているんです。
そういう感覚を久しぶりに感じた気がします。
この映画は、映画サイト等ではかなり高評価でした。そんな『エンディングノート』が、高松ソレイユで2週間限定で公開となったので見てきたのです。

サラリーマン生活を終えたばかりの砂田さん。いい意味で、どこにでもいるような気さくな雰囲気のオジサンです。そんな砂田さんが、やっと奥さんと落ち着いた時間を過ごせそうだというときに、ガンに罹ったことが分かってしまします。そして、砂田さんは自分のことでありながら、あたかも会社で企画書を作り始めるかのごとく自分のエンディングノート(遺書よりもフランクで、家族への覚書のようなもの)を作り始めるのです。
その様子は、とてもガン患者とは思えないくらいに平然としているし、健康な人の日常生活の一場面のような気さえしてきます。ちょっと他人事のように淡々と進めていくんです。そこがコミカルな感じに見えてきます。
この映画、ガンにかかる前の砂田さんの映像もあったりするんです。その一つに「会社、命!」とちょっとふざけた感じで言うところがありますが、そこが印象深かったです。
俺は、今30代ですが間違っても「会社、命!」なんて言う感覚は遠い感じがしますし、友人を見渡してもそういう友人は見つかりそうにないです。でも、自分が仕事をしていくうちに、会社に長くいると当然会社の嫌なところや、逆にいいところをたくさん知ることになります。そして何より会社内の人間関係が濃くなり、自分と会社をどうしても切り離せなくなると思うんです。会社には恨み辛みはもとより借りがたくさんある。でも、会社には親友も同僚もいて、もはや家族同然。そして何より、家族を養うための給料をくれ続けたから絶大な恩義がある。そういう、複雑な存在である会社!!!そうなってくるとひょっとしたら俺も「会社、命!」とまるで呪文のように繰り返し唱えながら、自分を納得させながら仕事をするかもれせん。
そういう、ちょっと変などうでもいいような想像をしてしまいました。
砂田さんは、とにかく前向きで、スタスタと商店街を歩くかのように、ガンと戦いながら同時進行で自分ための自分らしいエンディングノートを作っていくんです。もちろん映像は編集ができますから、そういう明るい部分だけではないでしょうが、それにしても冗談まじり、ボヤキまじりの物言いは、とても軽快でした。
なんというか、その軽快さといったら、何気ない感じで砂田さんと居酒屋でも行って、世間話や家族のことの話でもしたいくらいに軽快なんですよ。凄いです。
映画は、お葬式で終わりを告げます。
月並みですけれど、幸せというのは特別な時間や特別な出来事なんかではなく、自分の身の回りのいつもあって、そこに流れる優しくにこやかな時間や空気なんだと、思いました。そして、砂田さんはそんなことを大事にしながら、旅立ったんだと思いました。
「エンディング」を描いた映画のはずなのに、フワッと前向きな気持ちになりました。ほんと、素晴らしい映画なのです。
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そういう感覚を久しぶりに感じた気がします。
この映画は、映画サイト等ではかなり高評価でした。そんな『エンディングノート』が、高松ソレイユで2週間限定で公開となったので見てきたのです。

サラリーマン生活を終えたばかりの砂田さん。いい意味で、どこにでもいるような気さくな雰囲気のオジサンです。そんな砂田さんが、やっと奥さんと落ち着いた時間を過ごせそうだというときに、ガンに罹ったことが分かってしまします。そして、砂田さんは自分のことでありながら、あたかも会社で企画書を作り始めるかのごとく自分のエンディングノート(遺書よりもフランクで、家族への覚書のようなもの)を作り始めるのです。
その様子は、とてもガン患者とは思えないくらいに平然としているし、健康な人の日常生活の一場面のような気さえしてきます。ちょっと他人事のように淡々と進めていくんです。そこがコミカルな感じに見えてきます。
この映画、ガンにかかる前の砂田さんの映像もあったりするんです。その一つに「会社、命!」とちょっとふざけた感じで言うところがありますが、そこが印象深かったです。
俺は、今30代ですが間違っても「会社、命!」なんて言う感覚は遠い感じがしますし、友人を見渡してもそういう友人は見つかりそうにないです。でも、自分が仕事をしていくうちに、会社に長くいると当然会社の嫌なところや、逆にいいところをたくさん知ることになります。そして何より会社内の人間関係が濃くなり、自分と会社をどうしても切り離せなくなると思うんです。会社には恨み辛みはもとより借りがたくさんある。でも、会社には親友も同僚もいて、もはや家族同然。そして何より、家族を養うための給料をくれ続けたから絶大な恩義がある。そういう、複雑な存在である会社!!!そうなってくるとひょっとしたら俺も「会社、命!」とまるで呪文のように繰り返し唱えながら、自分を納得させながら仕事をするかもれせん。
そういう、ちょっと変などうでもいいような想像をしてしまいました。
砂田さんは、とにかく前向きで、スタスタと商店街を歩くかのように、ガンと戦いながら同時進行で自分ための自分らしいエンディングノートを作っていくんです。もちろん映像は編集ができますから、そういう明るい部分だけではないでしょうが、それにしても冗談まじり、ボヤキまじりの物言いは、とても軽快でした。
なんというか、その軽快さといったら、何気ない感じで砂田さんと居酒屋でも行って、世間話や家族のことの話でもしたいくらいに軽快なんですよ。凄いです。
映画は、お葬式で終わりを告げます。
月並みですけれど、幸せというのは特別な時間や特別な出来事なんかではなく、自分の身の回りのいつもあって、そこに流れる優しくにこやかな時間や空気なんだと、思いました。そして、砂田さんはそんなことを大事にしながら、旅立ったんだと思いました。
「エンディング」を描いた映画のはずなのに、フワッと前向きな気持ちになりました。ほんと、素晴らしい映画なのです。
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2012年01月07日
ちょっと『トレインスポッティング』のような予告。”Haywire”
ユアン・マクレガーの横顔と、パンキッシュなリズムがそうさせるんでしょうかね。
主演のジーナ・カラーノは、アメリカの総合格闘家とのこと。アメリカの雑誌で「最もスポーツ界に影響力のある女子選手」に選ばれたこともあるとウィキペディアにはあります。
しかし、ユアンにマイケル・ダグラスにアントニオ・バンデラス…。超豪華。
みんな美女に殴られたいんですねきっと。分かる気がする…w

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2012年01月04日
明けましておめでとうございます。
2011年12月31日
書評:小出裕章著 原発のウソ (扶桑社新書)
10月にこのブログで書いた記事「クソみたいなメディアの中に、唯一輝く何かしら。岩井監督は何をするのか。」で登場する小出裕章氏の名を一躍有名にした新書が、本書なのです。
動画を発見し、衝動のあまり、はた迷惑な長ったらしいタイトルをつけてしまった記事ですが、本書を読んだ上で改めて読んでみると、少し乱暴な文字の羅列もあながち外れてはいないと思うのです。
本書は、まるで何かの入門書のような柔らかい語り口に誘われ、新書嫌いの私の抵抗感を優しく撫でてくれているような冒頭です。3.11の「原発の破局的な事故」を発端に日本全体、いや世界中で巻き起こる論争に対して専門家の立場から言葉を紡ぎだします。メディアに溢れる、原発カテゴリーでしか意味を持たない言葉たちに丁寧な解説をし、読んでいる者にゆっくりと論理解読の道筋をつけてくれます。政府の言葉、電力会社の言葉、専門家の言葉の整理整頓のような穏やかな感じさえします。
そんな穏やかな淡々とした中で、著者は原発推進派や電力会社と政府に対して理路整然といろいろな角度で追求していきます。
豊かな生活に不可欠な電力。身の回りになくてはならない電気の供給源として存在する電力会社、そして政府。何者かの思惑や、唯一の被爆国でありながら何故これほどまでに原子力発電所が増えている事情。既得権益にしがみつき、平然と国民の目を誤魔化し続け、そして愚弄するPRに躍起な人々。今もなお続く、彼らの原子力施政の狂いがもたらす先には、かすかな未来の光すら見出せない。著者は、その姿に対して淡々と自信をもって警鐘を鳴らし続けています。
3.11以後、脱原発を宣言した欧州、その同じ時期に海外で原発の新設契約をするわが国日本。それが、何を意味しているのか。本書を読んで、その恐ろしさを痛切に感じざるおえないのです。
いま、国内には様々な意見が飛び交っています。そしてそれは、かつてないほど紛糾し、一過性のものではなく大きな命題として、形作られようとしています。
大きな組織がいつも正しいわけではない。正義謳う、既得権益に鎮座し続ける人たちは、恐ろしく欲深く、彼らの愚行によって大きな滅亡を近づけているのではないか。
我々は、様々な既得権益者に包囲され、そしてだまされ続けているではないか。
目を覚ますために、この本は必要です。そして、私たちは真剣に原発の存在を議論し、真の意味で豊かな世界を作らなくてはいけないのです。それは今を生きる私たちの最も大切な責任です。そして、この一冊は、間違いなく歴史に残る一冊となるでしょう。そして、一人でも多くの人々に読んでもらい、自分たちの未来、ひいては子供たちの未来を真剣に考えるきっかけにしてほしいのです。
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